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流山エリア

流山のことを知ろう!!『流山市立博物館』手軽に学べるオススメスポット。

こんにちは。
千葉県の魅力と不動産情報を発信する
『ちばとちブログ』今日もよろしくお願いします。

今回は、つくばエクスプレス線が開通したことにより大きく発展した『流山市』
今では若いご夫婦やファミリーに千葉の中で一番人気といっても間違いないと思います。

70年前には約2万人だった人口が今日に至るまで増え続け、2021年1月にはその10倍となる『20万人』まで達しました。

そんな流山の街はどのように移り変わってきたのでしょうか?

こういう時はココに行きましょう!!


『流山市立博物館』

仕事の休憩で行きました。
小さな展示室かと思って入ったのですが思ったより大きな規模にビックリ!!

しかも『無料』!!

奥行きも広いです。
1Fにある図書館にたまに行くのですが、その雰囲気からは想像つかなかったです。

なんでも行ってみるものです、あなたの近所にも驚く施設があるかもしれません。

他にもこちらの博物館も良かったので参考にしてください。

日本の歴史がわかる!!『国立歴史民俗博物館』オススメの理由!! こんにちは。千葉県の魅力と不動産情報を発信する『ちばとちブログ』今日もよろしくお願いします。 今回は歴史を勉強してきました!! ...

そんな流山市の歴史について勉強してみましょう!!

『流山市』という名称への移り変わり

今の流山市の範囲が一つの自治体になったのは、昭和26年(1951)4月のことです。
その頃は「江戸川町」って言われてたみたいですね。

その翌年27年1月には「流山町」に変わってます、江戸川町の寿命は短かったんですね。
どうしてでしょう?

それから時代が進み人口が急増した昭和42年(1967)1月に千葉県下20番目の市として『流山市』が誕生しました。

ちなみに千葉県も昔の名称と範囲が違ってました、途中のどこかで話が変わってたらチーバ君は誕生してなかったかもしれませんね。

でも「チーバ君」って上手いこと考えましたね確かにその形、名前も覚えやすい!!

流山の大昔⇒第二次世界大戦まで

ここからは流山の歩んできた道について見ていきましょう!!

江戸川を渡るだけで東京と埼玉です、それなりに人の流れが盛んな場所だったに違いありません。
大昔からの移り変わりと出来事を見ていきましょう。

大昔の流山

3万年前(ナウマンゾウとかいた時代)の古墳が見つかってるようですから、そうとう昔から人々は生活してたようです。

たしかに川と森があるので、当時の狩猟には適していたのかもしれません。

地面に穴を掘って作る「竪穴式住居」はこんな感じです。
といっても、家の部分は想像でしかないようです、遺跡には穴の形跡と食料などを燃やしてできた後しかなく、絵や巻物もない時代なので本当は全く違ってたという学者さんもいるようです。

確かにそうですよね、この形状は割と作るのに手間と知識が必要、狩猟民族の時代は定住しなかった可能性もあり、もっと作りやすく簡易的なものだったかもしれないとのことです。

時が進んで7世紀、この頃の流山では急激に住居が減少してるらしいのです!?

7世紀と言えば歴史で習った「大化の改新」の時代、何か政治の影響でもあったのでしょうか?
それとも天変地異?いろいろと想像が膨らみます。

江戸時代は徳川幕府の『馬』を育てる土地だった


時代は更に飛んで江戸時代、この辺りは徳川幕府が馬を放牧し管理する場所として使われておりました。

この辺りと行っても千葉県北西部の台地の上という広大な範囲で東は佐倉市辺りまであったようです。

野良馬が沢山いたってことでしょう、それを年に一度、軍馬にするため「野馬捕り」をおこなってたようです。
流山の人々も協力し絵のように追い回してたのでしょう。

めっちゃ走らされそう・・・馬でっかくて速いですからね。

写真のように馬が出ないようにするフェンスのような役割の「野間除土手」を作り、人の住むエリアに入ってこないよう区切られていたようです。

でも相手は野良馬ですから言うことを聞いてくれません!!
土手の造成や修復が間に合わず居住区域に入ってくるため役所に願い出てる書物もあるようです。

大変そうですね。

今でも流山だけでなく、いろんな所に土手は残ってますので興味のある方は見に行ってみてください。

フツーに山道みたいな感じなので気づかないかもしれませんが・・・。

『新選組』の最後の地といっても過言ではありません。


次は幕末までタイムスリップ

幕末に活躍した人たちと言えば『新選組』映画・マンガ・小説・・・いろんな形で登場します。
今まさに岡田准一さんが映画『燃えよ剣』で演じている「土方歳三」も、その一人

鳥羽・伏見戦争で敗れた新選組。
この流山には「近藤勇」をはじめとする隊士とともに再起を図るため拠点を五兵衛新田(足立区綾瀬)に移し、その後流山にやってきました。

しかし残念ながら流山は新選組、最後の地となってしまうんです。

最後の戦いの説明がされてました、ここで近藤勇は捕えられ同月には処刑されてしまいます。

土方歳三はその後、北海道に渡りますが、敵(新政府軍)の総攻撃により戦死してしまいます。

農民のくらしやお祭りの紹介

この地にも、大小さまざまなお祭りや伝統行事があります。

ここでは、行事の風景や農家さんの道具など一般庶民の生活が展示されていました。

みりんの街としても有名です。


流山といえば『みりんの街』としても有名。
1772年から秋元三左衛門が白みりんの醸造に成功し、江戸に近いこともプラスとなり全国的にのびてきたみたいです。

江戸との行き来も川を渡るだけなので交通の便も良かったのです。

昔は醤油や酒なども造られていたようですね。

みりんと一言にいっても、この様にいろんな種類のものがあるんです。

大きな樽などもあり見ごたえのある展示物でした。
モニターでの説明も面白かったです。

水運⇒鉄道への発展


明治~昭和初期には流山の「みりん」や野田の「醤油」を運ぶ手段といえば『水運』でした。

利根川と江戸川を結ぶ『利根運河』は全長約8.5キロメートル、その流路は現在の流山・柏・野田にまたがっております。

明治23年(1890)~昭和16年(1941)までの50年余り、この利根運河を使って船で運んでいたようです。
今とは全く違った風景が広がってたんでしょうね、想像もつきません。

とても遠い「銚子」から運んだりしてたようですから苦労が絶えなかったと思います。

こんなに大きな船が利根川や江戸川で見られたんですね、この絵では何隻も見られるので当時の風景は圧巻だったと思います。
ホント想像がつきません。

そんな賑やかだった水運の街も、ある物の発達により衰退の一途をたどります。

『鉄道』です。

これは今でも重要なライフライン。
現在では流山市内には5つの路線、11駅が出来るまでになりました。

明治29年(1896)に常磐線、明治44年(1911)に東部野田線、
大正5年(1916)に流山電鉄、昭和48年(1973)に武蔵野線、
平成17年(2005)につくばエクスプレス線が開通します。

明治、大正、昭和、平成にかけて、いくつもの主要な鉄道が整備されたことによって急激な人口増加の要因となったのでしょう。

第二次世界大戦時の展示


どこの博物館にもある内容ではありますが、もちろん流山も戦争の爪痕が残っております。
令和の時代に生きる僕たちが見ると、本当に同じ日本でこんな事が起こったのかと疑問に思ってしまうほどです。
まだ数十年前ですよ、変わりすぎと思いませんか?

明治⇒令和までの変化は、とても便利にはなりましたが逆に恐ろしい気持ちにもなってしまいます。

最初に展示されてたナウマンゾウを捕ってた3万年前~弥生時代(1700年前)までは、とてもスローな進化しかしてないですよね。ほとんど同じ

それが、この100年くらいで地球の自然環境を覆すくらいの急激な進歩となってます。
ちょっと人間の都合ばかりで進みすぎてるんじゃないでしょうか。

かと言って3万年前の生活は出来ないのですが、少しは過去に戻っていくことや使ってるものを再利用する精神について一人一人が考える時ではないでしょうか。

話がずれましたが、ここでは戦争の痛々しい展示物が並んでおりました。

その中でも目についたのは、自分の息子くらいの子供が書いた直筆の手紙です。

親は、この手紙を渡されいったいどう思い読んだのでしょうか。
泣けてきます・・・。

親として人として「平和」と「戦争」のことを考えさせられる大事な展示物でした。

住宅地の開発


戦争も終わり高度経済成長が始まる昭和30年あたりです。

流山での住宅地開発は南柏付近にある「松ヶ丘団地」が大規模開発としてのスタートだったようです。
その数『500戸』常磐線と野田線が近いので当時としては一番、利便が良かったのではないかと思います。

その後に江戸川台団地、平和台の土地区画整理事業、最近では都市再生機構(UR)の大規模区画整理など大きな土地開発が進められてきました。

先程の鉄道計画も大きく影響してます、そうして今では人口20万人のビックタウンになっていきました。

子供も学べて楽しい!!『その他の展示物』

大人ばかりではなく子供たちにも楽しい展示も工夫されてます。

クイズ形式になってるものが数か所あり、一つ一つを見ていくのは楽しいと思います。

難しい地名コーナー、僕のお客さんも知らない人は沢山います。

一番多いのは、古間木「ふるまき」を「こまき」と読む人は多いですね。


今ではないのですが、こんなんあったら怖いですよね。
子供は泣くと思います。

『ビリケンさん』って大阪の通天閣が有名ですが、多くの場所にあるようです。

アメリカの芸術家フローレンス・プリッツが制作し、幸運の神様として『世界中』で流行するとあります。

いろんなビリケンさん見てみたいですね。佐倉市にもあったような・・・。

まとめ

博物館って色々と考えさせられるところがあって僕は好きです。

考古学が大好きという訳ではないのですが、将来の参考にもなるというか人間って同じこと繰り返してるんだなと思わせれるというか・・・奥が深いです。

みなさんも、近くの博物館大小問わず行ってみてください!!

なにかと『ヒント』になることがあるかもしれませんよ。

本日もありがとうございました。

名称流山市立博物館
住所流山市加1丁目1225-6
TEL04-7159-3434
開館時間9:30~17:00
入館料無料
休館日月曜日(祝日の場合は開館し翌平日が休館)・月末休館(土日の場合は開館)・年末年始
URL流山市HP
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ばぐ☆さ~ふ
千葉県の北西部(松戸、柏、流山など)で住みたい人のために『街』の情報を発信しています。すでに住んでる人にもオススメ!知らなかったことが発見できるかも!?ハウスメーカーや不動産業の営業さんは現地案内ツールとして活用してください!!

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